ADHD? ASD? そして、アスペルガー?

一般公開

人と接するのは、苦手。どう振る舞えば良いか分からないから、とにかく何事も起こりませんようにと祈りながらその場に存在する。

近しい人に対して、感情が暴走する。良い意味でも悪い意味でも。

親しい人とそうでない人の距離感が違いすぎ。(心を許している人に対する距離は近すぎ)

音、匂い、味、熱さ、肌触りなどに敏感。

イメージ通り、思い通り、計画通りに物事が進まなかった時のストレスがすごい。

物忘れは当たり前。今まで考えていたことが、何かの刺激で全くなかったことに。それが、大切なことを考えていたかどうかは関係なく、注意がそれた瞬間に、完全に頭から消えてなくなる。

整理整頓、優先順位、無理。不要なものが分からない。だから、物の数は増えていくし、荷物や机は物で溢れかえっていく。

幼い頃から、「それって誰もが抱える悩み、だから自分も頑張らねば」と考えていた。いや、人は違うかもしれないとすら考えていなかったのかもしれない。なぜなら、自分の感覚でしか物事を捉えられないから。

そんな中、昨年(2024年)、なんだか辛そう(私自身も、それを支える家族も)と思った家族の勧めで、心療内科を受診した。

事前にインターネットで調べたところ、ADHDもASDも可能性がある。むしろ、ASDの方が、ほぼ、「ですよね!他の人って違うんですか???」くらいの気持ちだったが、その病院では対象がADHDのみだったため、そちらだけで診察を受けた。即日、ストラテラ(アトモキセチン)を処方され、服薬していくことになった。

39歳で、初めて自分がADHDの特性を特性をもっていることを知った。その時の気持ちは、残念、という気持ちよりは、「そうだったのか。だから、いろいろと苦しかったのか」という納得感の方が遥かに大きかった。

ストラテラを服薬している時は、世界が静かになる。まさに、「凪」の状態。これが他の人の感覚なのかと思った。服薬前は、気分に合わせて常に音楽が頭で流れていたし、周囲の刺激によって脳内の曲が変わるため、曲に合わせて気分も変わっていった。

自分が発達障害であるということに、小さいころから気づいていたらどうだったのだろうか。

きっと、手に入れられていたものと、手に入れられなかったものが違うのだろうと思う。

何も知らずに暴走できたからこそ、手に入れたものもある。

しかし、それには、自身と周りの人々の苦しみも伴う。

汝自身を知れ。きっと、事実を知り、その時は後悔することもあるかもしれない。でも、その困難を乗り越えた先には、明るい未来が待っている。

発達障害である自分を否定するのはきっと辛い。それは、家族から発達障害であることを否定されることも同様に悲しいものだと思う。知って終了ではなく、そこから先、どう生きていくか、どう支えていくかの方が大切だから。

少なくとも、私は、自身のことを知ることができてよかったと思う。

ちなみに、今年(2025年)の1月には他の病院も受診し、ASDの特性ももっていることが分かった。そして、WAIS-IVの結果から、自分は、「ワーキングメモリー(WMI)」と「処理速度(PSI)」の数値が「31」違うことも知った。

自分には、色々と偏っているところがある。でも、「それはそれでよかった」と思えることもある。

それについては、また別の機会につらつらと綴っていきたい。

タイトルにある最後の「アスペルガー?」は、受診して言われたことではなく、その後色々と調べてみて、「もしかして自分は・・・?」と思っていること。

コメント

タイトルとURLをコピーしました